ボヘミアン・ラプソディ 「願望」が盛り込まれたIF伝記映画

 ふみです。今回はボヘミアン・ラプソディについて、思う所があったのでブログの方で色々と。

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Bohemian Rhapsody Images Show Off Rami Malek as Freddie Mercury | Collider

以下注意点

①ネタバレあります

②私がクイーンについてボヘミアン・ラプソディを観るまでほとんど知らなかった」状態かつ「肯定的な」内容で書いています

 

観る前の話  

 映画観る前の話をすると、ボヘミアン・ラプソディを正直観るつもりはありませんでした。私は大学生でクイーンのことを殆ど知らないし(知っているのは、ボーカルがフレディ・マーキュリーっていうゲイで、エイズで若くして亡くなったこと、曲でタイトルまで知ってるのはwe will rock youぐらい)、キャストは知らない人だし(主役のラミ・マレックがナイトミュージアムのアクメンラーだということは後から知った…)、監督降板など映画製作でかなりゴタゴタしているなという印象だったので、スルー案件かなと思っていました。ところが、Spotifyで公開前にサントラをフルで提供していて、Twitter上で評判が良かったので聞いたところ、最初のクイーン仕様FOXのファンファーレでテンションが上がってしまった。ただでさえFOXのファンファーレは「映画の世界に連れてってくれる」ワクワク感が凄いというのに!

※最近は映画サントラを公開前に先行配信することが多いですが、この商法本当に上手い。

 あとは賛否両論が極端に渦巻いていたことも観てみようと思った理由です。評論家と観客の乖離が凄いのと、観客の間でも史実と全然違うとか賛否両論で、観ないと始まらないなというか、なんというか。

ボヘミアン・ラプソディに対して思うところ

 ボヘミアン・ラプソディを観て思ったことは、伝記映画というよりブログタイトルにも入れたように「願望」が盛り込まれたIF伝記映画だということ。元メンバーなど関係者が携わった壮大な二次創作、同人作品的な。もう一つは故人を描くことの限界を思い知らされたこと。

 というのも、クイーンのことを殆ど知らないので観た後から全然違うってことを知ってしまい、かなり驚きました。え?エイズのことを告白するのライブエイドの後なんだ…って。これ以外にも色々あるんですけど。

「願望」が盛り込まれたIF展開

 ボヘミアン・ラプソディの批判で結構多かったのが、史実と全然違うし、その改変いいのか?ということが挙げられていました。「実際はこうだった」的な記事が複数挙がっていたので読んでみると、改変で関係者の「願望」を反映させていると思いました。

 それを一番強く感じたのはエイズ告白シーン。史実ではもっと後だそうです。劇中でクイーンのメンバーのことを俺達は「家族」だと言っています。おそらく喧嘩とか辛いことがあっても共にする仲、苦楽を共にする仲という意味で「家族」という言葉を使ってクイーンの仲を強調していたんじゃないかと思います。フレディが独立先のメンバーはフレディの言いなりになるだけで反発とかしてこないみたいなことも言っていましたし。そういう辛いことも共有し、受け入れられる「家族」という仲だからこそ、「もっと早く言ってくれれば」「早く気づいていたら、ああできたのに」と思ったと同時に「こうしてあげたかったのに」ということも考えていたのではないかと。

 全体を通して「フレディのこと絶対忘れないし、世間からも忘れさせないぞ」みたいなのも感じました。クイーンを讃える内容というか、凄いことやったんだぞ俺たち、みたいな姿勢や筋は通しているので、そう考えるとボヘミアン・ラプソディがあのような作品になったのもわかる。実際、iTunesを見ると過去のを含めランキング上位にクイーンの作品が並び、日本では映画が2週目は初週の興行収入を超える(これ凄いです)など、クイーン世代より若い世代も取り込んで新たなブームを巻き起こすことに成功しています。

 どのジャンルにも言えることだと思いますが、そのジャンルが長生きするには新規を取り込むことが重要になってきます。古参だけでは限界があるし、どんどん内輪寄り・閉鎖的になっていきがちです。(むしろ閉鎖的でもいいジャンルもあるでしょうが)多分、「フレディのこと絶対忘れないし、世間からも忘れさせないぞ」っていう思いを伝えるためには、クイーンっていうジャンルを長続きさせないといけない、そのためにはクイーンのことを知らない新規にも知ってもらうことが必要…という流れでボヘミアン・ラプソディが出来たのではないかと思います。クイーンの過去のMVやライブ映像が公式YouTubeで沢山配信しているのもそういうことでしょう。

故人を描くことの限界

 フレディ本人が映画で問題視されていたセクシャリティ描写を含め、実際どのように思っていたか、どうだったのかは私にはわかりません。他人がどうであったか客観的事実以外でハッキリ定義できるものなら相当凄いです。数学の式みたいにこうだからこうみたいなものが成立しないのが人や人格で、少なくとも私にはわからない。この点で伝記映画における限界を感じました。誠意をもって取り組むしかないのではと。故人なので元メンバーや関係者の視点を通したものでしか語ることは出来ないし、実際そうせざるを得ないのですが、完成までに長い期間を要したことなどから誠意をもって作られたものだと私は信じています。

 

おわりに

せっかく描いたので載せておきます。 

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